「職業としての小説家」を読んで

はじめに

最近は久しぶりに村上春樹の小説などを読んでいます。一時期はディープなファンだったこともありますし、そしてその時期が過ぎればしばらく距離を置いていたこともありました。そこから一巡してもう一度出会い直している感じです。

1Q84も読みましたし、騎士団長殺しも読みました。でも、最近は妙に作家本人についての興味が出てきて、直近では「職業としての小説家」という本を読んだところです。この本では村上春樹が自分のことをけっこう正直に語っていて、それが1冊の本になっています。インタビュー形式ではなく、あとがきに書かれているように「読者に向かって語りかける一人語り」というスタンスが採用されていますので読みやすいのではないかと思います。

彼の小説で出てくる主人公はたいてい閉じた性格をしています(私にはそう感じられます)が、この本では読者に向かって語りかけていますので彼の出す本にしては多少親しみを持てるのではないでしょうか。

■自分にとっての村上春樹

私にとって、村上春樹という存在はかなり特別なものがあります。ある時には「溺れる者は藁をも掴む」の「藁」であったこともありました。何も見えない暗闇の中で、わずかに見える一筋の光明であることもあったのです。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のようなものですね。そしてその時代を過ぎるとしばらくは距離を置くようになります。彼の小説を必要としなくても生きていけると証明したかったのかも知れません。

そして今、再び距離を変えて彼の本を手に取るようになりました。私にとっては、少し感慨深いところもあります。今では私にとってそれほど「藁」や「蜘蛛の糸」ではなくなったために必死に読むことはなくなりましたが、それでも彼の小説は読み進めずにはいられない不思議な魅力があると思います。恐らく、彼自身が自覚しているようにとても不思議な物語の紡がれ方をしているからではないかなと思います。

■視点の自由さについて

この本を読んでいて感じたのは、(彼の)視点の自由さです。私達が日常で接する人達、いわゆる多数派の人達というのは、通常自分の視点というのに固定されていて、その自分の視点というか立脚点というか、世界観をベースとしてのみ世界を見るわけです。自分の考えが当たり前で絶対だと思っていて、それを否定されるのは嫌なわけです。相手の立場に立つと言いながら、自分の視点を持ったまま相手の立場に立っているに過ぎないと言うこともあるかも知れません。しかし村上春樹の特異性は、その(通常は固定されているはずの)視点が自由であることではないかと思いました。

彼がどうしてそのように自由な視点を得られたのかというのは、彼自身が語っているように小さい頃からの膨大な読書体験のおかげみたいです。それも、誰かから「本を読むべきだ」と言われて他律的に読んでいたのではなく、ごく自然に彼の主体的意思として読んでいたことが大きかったのではないかと思います。

■彼にとっての学校というシステム

ダンス・ダンス・ダンスでユキに語った言葉だったか、あるいはねじまき鳥クロニクルで笠原メイに語った言葉だったか忘れてしまったのですが、彼の描いたどこかの小説の中で主人公が語った言葉の中に「学校なんか行かなくていい」というものがありました。彼の小説の主人公はものすごくしっかりとした芯のある考え方をする人物が多くて、常識的なところもありつつも「自分の考え」というのをしっかりと持っています。今からもう20年以上も前になりますが、最初に彼の小説に出会った時、その強さと言いますか、世の中の要求とか社会の圧力をものともせず「自分の考え」を打ち出せるそのアイデンティティの強固さに私は憧れていたことを思い出しました。

この本では、村上氏の学校に対する考え方が述べられているのですが、その囚われのない自由な心のあり方にはとてもびっくりさせられます。

普通の日本人は生まれ育った環境に影響を受け、多かれ少なかれ社会システムに巻き込まれて狭められた選択肢の中で物事を考えたり、あるいは主体性を失ってしまっていたり、とにかく「システムに取り込まれてしまった」思考しか出来ないものなので、彼のように「最初からシステムから自由な人」というのはとても珍しい存在だと思ったのです。

そんなことがどうして可能だったのか。私には不思議でなりません。彼自身が言うように家庭環境がたまたま良かったのだとは思いますが、それにしても不思議なことだと思っています。私などは、そのような自己肯定力とでも呼べる力を手に入れるために大変な苦労をしてきた方なので、羨ましくもあります。彼は選ばれた人なのかなとも思います。

■内発的・自立的な意思決定力

学校についてのテーマに重なりますが、彼の意思決定は極めて内発的・自立的です。つまり、学校というシステムが押し付けてくる圧力を見事なまでに無視しているのです。そして、ただ自分の興味と好奇心と内発的情熱に沿って好きなことをしています。それでもある程度の点数が取れて落ちこぼれなかったのは彼の地頭の良さなのかも知れませんが、着目するべきはその「外部からの圧力を無視出来る力」です。言い換えれば、誰に何を言われてもそこから独立して「自分はこうしたい」という自立的な意思決定が出来る力です。しかもそれはイデオロギーや何らかの宗教的教義のようなものでやっているのではないのです。

私から見ればこれは驚異的なことです。驚異的な自己肯定力です。

なぜならば、周囲の圧力や社会から求められること、自分より社会そのものや集団における上位者から規定される物事を無視出来る力というのは、人生をかけて追い求めるくらい難易度の高いものだからです。最近では元文部科学省の事務次官・前川喜平さんが話題になりましたが、彼がある講演で語っていたように大学時代から仏教の追求をしてきてそれでやっと到達した境地でもあります。(いつか前川さんについても書いてみたいです)

さらに脱線しますが、私が最近注目している法政大学の上西充子教授が「呪いの言葉の解き方」という本をこの2019年5月に出版されます。ここで言う呪いというのは他者から一方的に投げかけられる言葉や圧力、規定によって自分の選択肢が制限されるという意味が込められています。例えて言うなら、菅官房長官から「その批判は当たらない」とか「全く問題ない」と言われた時に何も疑問に思わずに納得してしまったとするならばそれは相手の術中にはまったことを示しています。それは彼の意見であって、自分の意見ではないからです。

「攻めきれない野党」という風にTVや新聞のニュースで報道されていたとしても、野党の追及の弱さが原因なのか、あるいはもっと他に構造的な原因があるのではないか、他者の意見を鵜呑みにせず自分の意見を作り上げることができる力です。日本人には苦手な分野だと思います。

■実はすごい、何気ない描写

話題は変わりますが、この本の中に次のような描写があります。
「自分が何を求めているか、というよりはむしろ、何かを求めていない自分とはそもそもどんなものかということについて考えてみると良い」(意訳、文庫版112ページ)
この描写の何がすごいのか、少し説明を試みます。

例えば私などは結構変わった人生を送ってきました。ですがそうなるためにはそれなりの背景や理由がありましたし、それなりの苦労もありました。だからこそ、「自分には○○という使命がある」と考えたくなります。そう考えないと精神のバランスが取れないからです。だってそうではないでしょうか。なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか、不幸な目に遭えば嘆きたくもなりますし、だったら、それに見合うだけの良いことがなければ釣り合いが取れないと考えてしまいそうです。

村上氏が言っているのは、その原因と結果の世界をまるごと超越してみろということなのです。あまりにもさらっと言い過ぎているために、彼が言及していることの凄さはなかなか伝わりづらいかも知れません。ですが私は、この言葉が指し示す境地について考えたとき、「ああ、そうだ。これこそが自分の追いかけてきたものだ」と思ったものです。心とか、「私とは」みたいなテーマを追いかけていくと、最終的にはそこにたどり着く気がします。

さすが河合隼雄氏と親交のあった人だなと思います。

■不思議な物語の紡がれ方

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」という長編小説における沙羅(主人公の恋人)の言動とその影響について書かれています(文庫版257ページ)。面白いなと思うのは、物語を書いている作者である村上春樹でさえびっくりするような発言がポンと登場人物の口から出てきて、それによって物語が急に変化していくことです。ある種の境地に達した作家にとって物語は勝手に進んでいくものだと、確かに他の人も言っているのを聞いたことがあります。

昔から彼の物語を読んできた読者にとっては、この沙羅の発言に起因した物語の急な展開は随分と予想外だったのではないでしょうか?なぜならば、過去の例で言えばだいたいにおいて主人公は既に起こった過去の物事を「そういうものだ」という風に諦観と共に受け入れるものだったからです。まさかその原因と向き合うために故郷まで出かけていくなんて言うのは、少なくとも私にとっては大変びっくりする展開でした。

「騎士団長殺し」における主人公と妻との関係もそうです。そこで描かれる展開は「いつもの村上テイスト」で留まっていません。未読の方のためにネタバレするようなことは書きませんが、「彼がまさかこんな物語を書くようになるとは」というような不思議な感覚を覚えたものです。

■まとめ

基本的に今回の文章はただの感想文なので特に結論のようなものはないのですが、最近出た「騎士団長殺し」は最新刊にふさわしいものだったと思いますね。是非とも皆さんにも読んで欲しいと思っています。

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